アサシンクリードオリジンズ アブスターゴ歴史調査部門 アニムスガイド2
アブスターゴ歴史調査部門 アニムスガイド1の続きです。
アニムスプロトタイプの初期のコンセプトは、アブスターゴ・ケミカルズで生まれ、1960年に「メモリアムS-2000」という姿を装って登場した。成果はほとんどなく、試作品はあくまでも計画の枠を出なかったが、米軍との間でメモリアムをMKウルトラ計画のの中で試験する取り決めがまとまった。
1980年はウォーレン・ヴィテックがついにミッションを達成できた年だった。最初のユーザーたちが一連の遺伝子記憶の捜索に送り出され、その結果は様々だった。サンフランシスコでは代用計画により、被験体0号のアイリーン・ボックが自身の血脈とは異なる記憶を捜索できたが、代償の高さと同時に危険性が分かった。
アニムス計画はユーザーに自身の遺伝子記憶を捜索させることに重点をおいた。そのプロセスは、痛みを伴ったが、多少は安全度が高く、将来に向けて大きな期待が持てる結果をもたらした。フィラデルフィアのアブスターゴ施設におけるヴィディックのチームは、これを1983年に最新のアニムス1.09と被験体4号の遺伝子記憶を用いて証明できた。
フィラデルフィア、ローマ、マドリードのアニムス計画チームによって可能にれた進展を足掛かりにアブスターゴ・エンターテイメント部門は革新的なアニムスオメガと呼ばれるシステムを発表する。あらかじめ記録された様々な遺伝子記憶に、誰もがどこからでも前例のないようなアクセスできるゲーム機である。
ヘリックスは後にクラウドベースのサービスを通じた類似の技術を展開し、ゲーム機自体の必要性を取り払った。もちろん、一般大衆が利用できるシミュレーションは、本物のアニムスを通して体験できるもののほんの一部でしかなく、ユーザーが行えることは限られている。しかしこの技術は人気を集め、世界的な関心は高まっていく。






コメント
コメントを投稿